タリーズコーヒー創業秘話 「すべては一つの作り話から」

すべてのコーヒー〜
残念ながら、この「すべては一杯のコーヒーから」という本に感銘を受けた人は少なくないと思われます。
ただ、「真実」を伝えるという事は私の使命だと感じて、この本の裏側にある「真実」を綴っていきましょう。

スぺシャリティーコーヒー〜

第一章の部分で、彼は”ボストンから帰って、96年4月にスペシャリティーコーヒーを求めてシアトルへ行った!”と書いていますが、私はその時はまだ、一緒にロコ・トレーディングで仕事をしていませんでした(まだ三和銀行銀座支店で勤務)が、この話は私がロコ・トレーディングに入って(97年1月)から彼と2回目のシアトル(確か97年の5月)に行った時の話です。

”何故か?”

彼は最初、私が入る前から「アイスクリーム会社のダンケンズ」とコンタクトを取っていたのは事実です。私も彼の「アイスクリー」熱」(彼はアメリカ育ちなので、彼の育った世代には、まだスぺシャリティーコーヒーはアメリカには存在していませんでしたので、ベン&ジェリーとかダンケンズの方が彼には魅力的だったのです。その当時、ハーゲンダッツは日本で大ヒットしていましたので・・・。)の高さには感心していました。

但し、「アイスクリーム」です。夏は良いけど、冬は??

私は「根っからのコーヒー馬鹿」ですので、「お前、よくそんなにコーヒー飲めるな!?」って言われるくらいのコーヒー好き。今でもそうですが、とにかく96年のスターバックス銀座店の成功を斜向かいの三和銀行で垣間見て、「これだ!」という確信がありました。
そこで、2回目のシアトル訪問の際に、私の熱い想いで”コーヒー屋を当たろう!”という方向転換をし、本に出てくるイタリア人のオジさん(ヴィヴァーチェ)のお店を訪問したり、勿論、メインはタリーズ(これもアイスクリーム屋のダンケンズ・ダンの力添えで実現した話)と合計確か、5店舗くらいを訪問した記憶があります。
確かに、ウィヴァーチェのオジさんはただひたすら「コーヒーの輸出による品質の劣化」を”ネガティブ”な意見として言って来て、(でもある意味プロ意識が非常に強かった)我々との取引にはすごく後ろ向きだったです。

つまり、”タリーズをやろう!”という話になったのは、紛れもなく、97年の2月以降であって、その半年後に「第一号店」を銀座にオープンさせたのです。
既に、スターバックスは4店舗を成功させていた時です。そして間違ってはいけないのが、「ダンケンズ」が最初であって、そのあと「タリーズ」が出て来た事であり、”ダン・サムソンこそ、我々をタリーズに近づけてくれた有難い人物”なのであります。

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この本が「英語訳」になっていたら、ダンもタリーも読めるので、私以外にも「この作り話」を証明できるのに.......


まあでも、そんな感じで「すべては一つの作り話から」を綴っていきます。




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